私は園芸が趣味で、庭のバラを摘んでは妻に贈るなどと、顔に似合わぬことをしています。最近は忙しくて、あまり手をかけれませんが、神様が創造なさった世界の美しさを賛美するための時間として、植物と過ごす時間を大切にしています。

 

そんな私を見て、友人が面白いことを言ってくれました。

 

 『説教者は庭師のようなものですね。神様は 御言葉の花畑から、それぞれの教会に集う人々に、豊かに御言葉の花を届けたいと思っていらっしゃるの。説教者は、そのお花畑の管理を任されている庭師。彼は、毎日真摯に丁寧にお花の手入れをして、日曜日になると、大きな花束を作って、愛する一人一人のために心を込めて摘んできた花を配る。

 

 教会に集まる人は花瓶です。庭師が選んでくださった花を、土の器に生けさせていただく。そうして私たちは花瓶として、その花を保とうとする。毎日水を変えてやらなければ、花瓶の花はすぐ枯れます。それと同じように、私たちも毎日祈って聖霊を注いでいただいて、いのちの水を新しくいただきなおさないと、生けてもらった花をすぐに枯らしてしまう。管理がよいと、次の週までお花は元気で、次にいただいた花と共に、花瓶の花はすごく豪華になります。私はそういう花瓶になりたい。そうして、花瓶の花からキリストの香りがふんわりと香るようでありたい。私たちは自分が花ではないの。花は御言葉。御言葉が私という花瓶で美しく咲いていてくれたら、私も美しく在れるのです。』

 

 私は、皆さんを美しく飾るために、心をつくして備える説教者でありたいのです。この花瓶にはどんな花が似合うかと、毎日祈って選び抜いた花が、いつまでも枯れることなく咲き誇るなら、これほどにうれしいことはありません。埃をかぶったまま、自分が花瓶であることさえ忘れてしまっているような器に、豊かな花が生けられて、美しく輝きだしますように。そうして世界が、昨日よりもまた少し美しくなりますように。

 

(2012年6月 勝田台教会月報巻頭言より)

2017年の庭の様子

昨年は牧師館の改修工事のために庭もお休みでしたが、今年は元気に新しい表情を見せてくれています。きれいに咲いたものから、順番にご紹介していきます。

2015年の庭の様子

今年は天候不順に草花もびっくりしているようで、昨年とはまた違った表情を見せてくれています。

2014年の庭の様子

2013年の庭の様子