唯一の主イエス・キリストを信じる①

 先の日曜日の礼拝において、反ナチ抵抗者の獄中書簡集に記された、パウル・シュナイダー牧師のエピソードを紹介しました。

 

 ナチスドイツの支配下にあっては教会もまた全体主義の中に取り込まれて、利用されました。ナチスは反ユダヤ主義、またアーリア人の優越性ということを主張して、あの忌まわしいユダヤ人大虐殺を進めていくのですが、それを正当化するために、正統的なキリスト教信仰とはまったく別物の「積極的キリスト教」という宗教を作り出しまして、その教義を利用しました。

 

 しかし、心ある牧師また教会が、イエス・キリストのみを唯一の主とする、歴史的正統信仰に立ち続けて、真っ向からナチスの思想に抵抗したのです。これをドイツ抵抗運動とか、教会闘争と申します。その際、多くの牧師が捕らえられ、強制収容所に送られて殺されました。パウル・シュナイダー牧師もその一人です。


 その彼が残した言葉として、こういう言葉が記録されています。「物質的な安寧だけを与えるために、神はわたしに子どもをお与えになったのでしょうか。彼らを守って、永遠に導くためにこそ、子どもをゆだね給うたのではないでしょうか。」

 

 これは、彼のことを心配してくれた友人に対して語った言葉です。彼には家族がありました、かわいい子どもたちがいました。ですから周りの者たちは彼のことを心配して、当局ににらまれないように用心しなさい、収容所に入れられてしまっては家族が路頭に迷うと友人が忠告する。

 

 でもシュナイダー牧師は言いました、神様がわたしに子どもを与えてくださったのは、この子たちに、地上的な物質的な幸せを与えるためではないはずです。私はこの子たちの魂を守って、永遠の命に導く責任があるのです。・・・

 

 そうである以上、この子たちの父として、決してナチスに屈するわけにはいかない。魂を売ることはできない。永遠の命に通じていく生きざまを、子どもたちに示したいと彼は考えたのでした。はっきりと示す必要がある。イエス・キリストを信じ、キリストに従って生きるならば、たとえこの地上で絶望を味わっても、永遠に価値あるものとして、神から記憶される。そのような確信をもって、彼は抵抗運動をつづけたのでした。

 

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