過去は良かったという幻想

今朝の朝日新聞の天声人語がとても面白かったです。

 

電車の中で化粧をする女性に眉をひそめているのは、現代だけの現象ではなく、すでに戦前の1935年から見られていたとか、

 

お年寄りに席を譲ろうとしない若者をとがめる声も、1937年の新聞に掲載されていたという、情報を提供してくれました。

 

思い出したのは、こんな言葉です。「このごろの若者はぜいたくになった。礼儀作法を知らないし、目上の人を尊敬せず権威にさからう。子どもたちも甘やかされている。子どもらは部屋に年輩者が入ってきても席をゆずろうとしない。両親に口答えし、来客の前でさわがしくしたり、不作法な食べ方をする。そして先生に対しても横柄である。」

 

これは誰の言葉かといえば、紀元前4世紀のソクラテスの言葉です。

 

こんな具合に、いつの時代にも、「大人」と自認している人から見ると、若者はダメな存在であったことが分かります。

 

天声人語には、コピーライターの大倉幸宏(ゆきひろ)さん(41)による『「昔はよかった」と言うけれど』という本が紹介されていました。

 

そして、このように書かれていました。

 

「現代日本のモラルの低下を憂える声に疑問をもった。戦前はこんなではなかったって本当か、と。5年かけて材料を集めた。古きよき時代を懐かしみ、今時の若い者を嘆く。人の世の歴史はその繰り返しだろう。昔はよかったとは往々、印象論か個人的な感慨にとどまる。過去への幻想や錯覚をもとに「取り戻せ」と唱える危うさを、大倉さんの本は指し示す。」

 

戦前の「修身」教育の復活を唱えるような方々への批判が、この言葉には込められています。そんな教育の結果、この国はどんな過ちを犯したのか・・・、彼らは永遠に「昔は良かった」と言い続けるつもりでしょうか。

 

確かに、現代社会のモラルの低下は著しく、キリスト教会もまた、そのような時代にあって「美徳」の回復を訴え、またその模範を示したいと願うものです。

 

しかし私は思います。自称「大人」たちは、まず自分たち自身が、そのような美徳を見失ってしまってはいないかと・・厳しい自己省察をするべきです。

 

今の若者はダメだ、子どもはダメだ、そういう子を育てる親が悪い・・・やかましい!!と言いたくなります。

 

そういう若者を作り出し、子どもを作り出し、そういう子を育てた親を作り出した、社会の責任を考えるべきです。いや社会などと言っては、責任があいまいになる。自称「大人」である、私たち一人一人の責任です。

 

テレビで世相を憂いてばかりいる、批評家のご老人。あなたの責任でもあるのです。

 

「自分は正しい」という立場からものを言う人間に対しては、イエス・キリストはいつも、舌鋒鋭く切り捨てておられるのです。