深刻な分断

今日の新聞の小さな記事を見ながら、改めて考えさせられたことがあります。

 

中国総局の記者の言葉です。

 

「対立は日本対中国ちう単純な構造ではない。実は双方がその内部に、対日・対中の強硬派と穏健派がせめぎあう状況を抱えている。

 

 相手の脅威を強調する双方の強硬派は、反目しながらも、「強い国家」の実現に向けて、実は互いを利用し合っているという構図だ。欧米諸国が歴史認識を巡る安陪政権の動きに懸念といらだちをあらわにする一因は、それが中国にある偏狭な民族主義を勢いづかせるからだ。

 

 対照的に、日中がなんとか折り合える場所を見出し、穏当な解決を図るべきだと考える人々の立場は次第に悪くなっている。」

 

 

私は、中国のことは不勉強でほとんど何も知りませんが、この記者が後述するような、「暴走する国内世論に影響されて、対日強硬策を取るよりなくなっている」という、追い詰められた政治状況があることは、事実なのだと思います(そのような事態を作ったのも、中国共産党ではありますが・・)

 

また日本においても、安倍総理が先の靖国参拝を「コアな支持層への配慮」と、アメリカに説明しようとしていたということが判明しましたが、まさにそうなのでしょう。彼のブログに、罵詈雑言を並べ立てているような、一部の国家主義・民族主義の方々の反動を恐れつつ・・・、まったく国内目線で、強い政治家を演じ続けることに意を尽くし、政治的柔軟性を失っているようです。

 

そういう強硬派の熱狂に飲みこまれて、止めることのできない戦争に突き進んだ過去の過ちを、私たちは再び繰り返すのでしょうか・・。

 

しかし、このような声が、全然届いていかないむなしさを覚えます。

 

対中強硬派・穏健派の分断みならず、私たちの国において、あらゆる局面で、分断が進んでいるように思えてなりません。かつてのベルリンの壁のような、思想と言葉を分断する、見えない壁があることを、強く意識させられる昨今です。

 

そんな時に、私はキリストの僕として、何を考え、何を語り、何を行うべきか・・・聖書の御言葉から考えたいと思います。

 

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。(エフェソ2:14-17)」