月報より


MTさんの寄稿「日々の生活の中で」

 私は臨床検査技師として病院に勤務しています。臨床検査技師とは、血液、尿などの分析、心電図や超音波などの生理機能測定、大量出血時などの輸血検査、食中毒や感染症の微生物検査、臓器や癌細胞を顕微鏡でみる病理細胞診などを扱う仕事です。この職業を選択した当時は、まだ教会に行ったこともなかったので、理系が好きで何となく選んだという感じでした。在学中に今の主人に教会に誘われ、初めは抵抗してポツポツしか礼拝に出席しませんでした。病理学の先生がクリスチャンで、試験問題で選択した答えを繋げてみると「かみはあいなり」と理解があやふやでも解ける問題であり、もし落第点でも 教会に1回でも行けば合格にするというユニークな伝道をしていました。その先生の「人の体は人間ではわからないことがいっぱいある。人を創った方にしかわからない。」といった言葉が印象的でした。そのような経験を通して、少しずつ教会に行くようになりました。
 洗礼を受けた当時は、青年会修養会に何度も参加しました。2泊3日で夜通し「結婚とは何か?」など、将来について語り合ったことを思い出します。皆で朝日輝く川の畔で讃美歌90番を歌ったことが昨日のことのようです。それ以来、私の大好きな讃美歌となっています。顕微鏡で細胞を見ているとき、「この1つ1つの細胞を神様がつくってくださったのだ。」と思うと
 
ここもかみの みくになれば
あめつち御歌を うたいかわし
岩に樹々に 空に海に
たえなる御業ぞ あらわれたる
(讃美歌90番1節)


この讃美歌が思い浮かびます。

 職場の人間関係で疲れて眠れない夜も
 
ここもかみの みくになれば
よこしま暫しは ときを得とも
主のみむねの ややに成りて
あめつち遂には 一つとならん
(讃美歌90番3節)
 
この讃美歌で心穏やかになります。
  久々の連休、やっと家族で旅行に行く、そんな楽しいひとときも
 
ここもかみの みくになれば
鳥の音、花の香 主をばたたえ
あさ日、ゆう日 栄えにはえて
そよ吹く風さえ かみをかたる
(讃美歌90番2節)
 
 この讃美歌で景色の素晴らしさを感じます。

 日々の生活のなかで、疲れて前に進めないこともあります。息子のてんかんもまだまだ治療が続きます。放蕩息子のたとえのようにボロボロになって、日曜日の礼拝にやっとたどり着くこともあります。そんな私を神様は両手を広げて迎えて下さいます。本当に素晴らしいことです。どうか引き続き、息子の病のことをお祈りに覚えてください。


賀川豊彦の妻ハル

 月報2015年6月号と7月号に連載された特集です。当教会のM.Iさんによる寄稿です。

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賀川豊彦の妻(前編)HP用.doc
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賀川豊彦の妻(後編)HP用.doc
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Sさんの読書感想文

光うしないたるまなこ、うつろに、

肢(あし)うしないたるからだになわれて、

診察台の上に、どさりとのせられた人よ、

私はあなたの前にこうべをたれる・・・


なぜ私たちでなくてあなたが?

あなたは代わって下さったのだ

代わって人としてあらゆるものを奪われ

地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。
 
ゆるしてください らいの人よ
浅く・かろく・生の海の面(おも)に浮かび
漂い、そこはかとなく、神だの霊魂だのと、きこえよいことばをあやつる私たちを・・・
 
「らいの人に」 (精神科医 神谷恵美子)
 
 上の詩は、終末期医療に奮闘しておられる、大井玄先生の「病から詩が生まれる一看取り医がみた幸せと悲哀」という、新書からの抜粋です。著者は、未だうら若き一医学生の創ったこの詩に強い衝撃を受けたと同時に、非常な恥ずかしさを覚えたと告白しています。更に、詩によってしか扱い得ない病のあることを悟ったと続けます。私自身もまた、実に軽く、浅く生きて、神だの祈りだのと聞こえよいことばをあやつる己の罪深さに、愕然としました。そして又、詩心の大切な意味に気付かされ、「詩によってしか扱い得ない病のあることを悟ったのである」との、著者の思いに、共感することが出来たような気がしました。
 私は最近、病に関する新書を続けて3冊読みました。
 
 「がん哲学外来入門」 (樋野興夫 著)
    「大学教授がガンになってわかったこと」 (山口仲美 著)
  「病から詩が生まれる」 (大井 玄 著)
 
 それぞれ、ユニークな新書で、学ぶことがたくさんありました。お貸しします。多くの人生経験を重ねて来たシニア会員は、その重みを発信してはいかがでしょう?